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​トレーナー活動

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当院ではトレーナー派遣も行っています。
 

院長の宮武は日本オリンピック委員会強化スタッフとして体操ナショナルチームの合宿、世界選手権等の帯同も長年行ってきました。
 

各スタッフもそれぞれの分野でトレーナー活動の経験のあるスタッフです。
 

トレーナー派遣に関してはご相談下さい。

​担当選手の声

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田中選手

宮武先生との出会いは、高校生のときでした。

体の変化や、怪我との戦いで体操競技への気持ちが離れてしまいそうなときに、知り合いから紹介していただきました。

私自身、足首、腰、股関節とずっと痛みがある中での練習で、自分の体調などを伝える人がいなくて悩んでいました。

宮武先生に治療をしてもらったとき、自分の体のこと、変化など、たくさんのことを教えていただき、体をコントロールしていくことの大切も教えていただきました。

日本体育大学に入学し、ずっと悩んでいた、足首の怪我の手術も背中を押してもらい、手術をし、リハビリ生活も、支えて頂きました。リハビリ中は、怪我を治してもらうことだけでなく、体を動かす大切さや、考え方など、たくさんのアドバイスを頂き、私自身、体操競技への気持ちにも変化があらわれて、オリンピックをもう一度目指そうと決心する事が出来ました。

宮武先生となら思い切って体操に取り組むことができる安心感があり、怪我の不安より、怪我をしない体の作り方や、治していくための考え方など、たくさんのことを教えてもらいました。

忙しい中でも、夜遅くまで治療をしていただいたり、メンタル面など、たくさん支えてもらいました。

25歳でロンドンオリンピック出場を諦めないでチャレンジできたのも、本当に宮武先生のお陰です。

今も感謝の気持ちでいっぱいです。

この度は、治療院の開院おめでとうございます。これからも応援しています。

そして、これからも、よろしくお願いします。

田中理恵

 

田中選手経歴

6月11日 和歌山県生まれ。

日本体育大学卒業、同大学大学院修了。

女子体操選手としては大柄な身長157㎝の長身と長い手足を生かした美しい演技を持ち味として活躍。

ロッテルダム世界選手権(2010年)にて、日本女子初の『ロンジン・エレガンス賞』を受賞。全日本体操競技選手権大会(2012年)女子個人総合優勝、NHK杯体操競技(2012年)女子個人総合優勝など輝かしい実績を残す。

ロンドン五輪(2012年)にも同じ体操選手である兄の和仁、弟の佑典とともに出場。兄弟3人揃っての五輪出場は日本代表史上初の快挙。

現在、日本体育大学児童スポーツ教育学部助教、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事を務める。

米田選手

宮武さんとの出会いは社会人一年目の時です。先輩に「いいトレーナーがいるから」と紹介していただいた方が宮武さんで、なんと当時働いていた接骨院が僕の引越しした先のすぐ近くだったのです。
その年にはシドニーオリンピックの代表選考会が控えていました。僕は新しい環境の中、思うように練習ができず、身体のケアを毎日のようにお願いし、夜遅くなっても朝早くても親切に診てくれました。今でもその感謝の気持ちは忘れません。
シドニーオリンピックの代表にはなれませんでしたが、4年後のアテネオリンピックでは代表に入り、夢であった金メダルを獲得することができました。その後は北京オリンピックの代表選考会まで現役選手として競技を続けることが出来ました。
僕にはいつでも相談し、力になってくれる宮武さんがいたので3大会のオリンピック挑戦を最後まで諦めることなく戦うことができました。

この度、予てからの望みであった治療院の開院おめでとうございます。
是非、これまでの経験と技術、そして何よりも宮武さんの人柄で多くの人の体と心のケアに貢献してください!応援しています!
米田功

 

米田選手経歴

7歳から体操を始め、全国中学生大会で個人総合優勝。清風高校時代にインターハイで個人総合2位。順天堂大学に進み、1997年の全日本学生選手権個人総合2位、1998年のNHK杯で個人総合優勝。1999年には全日本学生選手権個人総合優勝、全日本選手権の鉄棒で優勝を果たす。

シドニーオリンピックでは、まさかの代表落選。その雪辱を晴らし、2004年のアテネオリンピックでは日本男子体操のキャプテンとしてチームを牽引。団体で28年ぶりとなる金メダルを獲得。種目別の鉄棒でも素晴らしい演技を見せ、銅メダルを獲得。アテネオリンピック後の度重なる手術を乗り越えた2008年NHK杯での演技は、観る者に感動を与えた。

惜しくも北京オリンピック代表の座を逃したが、 金メダリストとしての経験をもとに、2009年からメンタルトレーナーとしての活動をスタート。そして、自身の体操クラブである米田功体操クラブを2012年に設立。また、同年に自身初の著書となる「見えない壁を壊す(光文社)」を出版。また、解説者としても活躍し、世界体操や全日本選手権などの解説も行う。

2012年ロンドンオリンピックでの公式の解説者として日本体操の活躍を解説。
2013年1月からは、徳洲会体操クラブの監督として日本体操金メダル奪還に向け、指導者としての道を歩んでいる。

肩書
・株式会社CARTWHEEL(米田功体操クラブ)代表取締役
・徳洲会体操クラブ監督
・公益財団法人日本体操協会常務理事
・一般社団法人日本メンタルトレーナー協会理事

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